別の記事でお伝えしたように、成毛 眞さんの「本は10冊同時に読め!」から読書量が飛躍的に増えました!
ただ、元々読書経験が少なかった私は常に「本はどのように読むが正解なのだろうか?」という疑問を抱いていました。
それを知るためには「読書家の読書方法に関する書籍」を色々読んで解決するしかないと思い、読書方法に関する書籍を何冊も手に取りました。
今回、ご紹介するのは松岡 正剛 著「多読論」です。
松岡正剛さんは私が学生時代から憧れていた方で、成毛眞さんが『本の巨匠』なら、松岡正剛さんは『本の神様』でしょうか?
読書量が異常な松岡さんは、一般的に『知の巨人』と呼ばれています。
著者 松岡 正剛
松岡 正剛さんのプロフィールを紹介しておきます。
ご存じの方も多いと思いますが、参考にしてくださいね!
- 編集者 ← 「生涯一編集者」がモットー
- 1944年1月 京都府京都市出身
- 早稲田大学中退 (第一文学部フランス文学専修)
- 1971年 工作舎設立:オブジェマガジン「遊」創刊
- 1982年 フリーランスになり、松岡正剛事務所設立
このとき、NTT民営化に伴う「情報と文化」研究会の座長を務める
→「情報と文化」(NTT出版・1986年)は戸田ツトムさんと構成しており、内容もさることながら、眺めていても飽きない書籍でした。何度も読み直した思い出の本です - 1987年 編集光学研究所を設立
- 2000年 ネットワーク上にブックナビゲーション「千夜千冊」のレンライ開始
- 同年 eラーニングの先駆けとなる「イシス編集学校」設立:編集工学にもとづくメソッドを幅広い層に伝授しはじめる
- 現在:編集工学研究所所長、イシス編集学校校長、角川武蔵野ミュージアム館長
「生涯一編集者」と言いながらも、その著作は深みと重みがあります。正剛さんにとっては執筆自体も「文字の編集」つまり編集作業なのかもしれません。
この書籍のポイント!
この本はインタビュアーが松岡正剛さんに質問して、回答を頂く形式で構成されています。
松岡さんは「セイゴオさん」と呼ばれています。
これは松岡正剛さんのオフィスHPが「セイゴオちゃんねる」から引用していると思います。
インタビュアーは編集者ですが、どなたかは不明です。
筑摩書房の方なのか、松岡正剛事務所のスタッフなのか……多分筑摩書房の編集者だと思います。
今回も各章でインパクトがあった内容を紹介しますね!
第1章 多読・少読・広読・狭読
『本は二度読む』
セイゴオさんは本を2度読まないと本ものにならないと考えています。
数年前に読んだ印象と最近読んだ印象ではかなり違いがありますよね!
同じ文章でも読んだ時の心理状況や環境でかなり違った印象を受けます。
セイゴオさんは、最初に読んだ時と2度目に読んだ時の時空を超えた大きな捉え方の「違い」が読書の本質に関わる事が少なくないそうです。
また、一度読んだだけでは思い出せない事や記憶違いもありますよね。
ちょっとページをめくって、「あれ、こんなことが、書いてあったっけ」と再確認するだけでも、その本をより深く知ることになりますね。
セイゴオさんは「二度読む」ことと、「たくさん読む」ことは別物で、
『多読』とは「むさぼりたくさん読む」ことや「むやみに早く読む」ことではなく、
「内側の機能をいくつも動かす事」と定義しています。
つまり『多読』とはいろいろな書籍を読み、アタマの柔軟性を保ち、年相応の読み方ができることだそうです。
奥が深いですね!
第2章 多様性を育てていく
『文系も理系もこだわらない』
第2章ではセイゴオさんの幼少から大学時代までに影響を受けた書籍と多読に関するエピソードが紹介されています。
中でも衝撃的なのは、大学時代の親友がドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』に出てくる「大審問官」について尋ねられたエピソードです。
親友に「大審問官についてどう思うか?」と問われた時、セイゴオさんは『カラマーゾフの兄弟を読んでいなかった。
そこで、この長文で難解な小説を読み始めたのですが、「本の神様」セイゴオさんでも、3〜4ヶ月かかってしまった。
挙げ句の果てに「大審問官」の意味がまったくわからず、友達との議論は一向に進まなかったそうです。 ドストエフスキーはやはり難解なのですね。
その後、学生時代は演劇部に所属しながら、「早稲田大学新聞」で執筆して、「乱読」と「系読(系譜を追う読書)」に勤しんだそうです。
しかし、急に大量に読めるようになるものではないですよね。
では、どうしたか? セイゴオさんがとった秘策は……「寝ない」ようにしたそうです。(笑)
学生時代から、30代、40代も、一年の内、300日くらいは午前3時半以前に寝ないそうです。
深夜は何か読んでいるか、スポーツチャンネルやドキュメンタリーを観るか、
何かを書いている生活をしていたとの事。
とても真似できないですね。スゴイ体力と精神力ですね!
セイゴウさんは学生時代におもしろい本の読み方をしていました。
それは大学講義中に授業がつまらなかったので関連する書籍を読んでいたそうです。
授業を聞きながら読む「多重感覚読書」ですね。おもしろそうですよね!
学生さんは試してみてはいかがでしょうか?
ちなみにセイゴウさんは講義より内容が濃い本の方が面白かったので、すぐに授業には出なくなったそうですよ!ここは真似しなくてもいいですね。(笑)
こんな『読書の神様』セイゴオさんですから、幼少の頃より文系だよね、と思いますよね。
しかし、小学生の頃は電気倶楽部で、中学生の頃は科学部だったそうです。意外ですよね!
私が好きなミステリー作家の東野圭吾さんも大学は理系でしたね。
理系から文学に移行された方や、成毛眞さんのように文系出身なのに
最先端の科学の仕事をされている方は、共感できるところが多々ありますね!
(私が理系出身だからかもしれませんが……)
第3章 読書の方法をさぐる
この章が私にとってはキモです!
(きもいの「キモ!」ではありません。「肝」です)
この章はためになりますよ!
『雑誌が読めれば本は読める』
セイゴオさんが「読書する」のは、雑誌、新聞、単行本、マンガ、楽譜など、読めるもの全てだそうです。そこには優越はないとの事ですが、「全集」は別格で、「全集読書」が頂点との事。
ただ、「全集」は2〜3合目で振り落とされるそうです。(笑)
読書も3割程度の勝率で十分と考えているようです。
セイゴオさんはどんな本をどんな読み方をしてもいい!と言っています。
「どんな本」にはマンガ、雑誌、新聞などあらゆる出版物が含まれています。
活字だけでなく、写真やデザインも「読む」範疇に入っているようです。
セイゴオさんにとって、視覚的刺激があり、脳の中で噛み砕いて味わえるものは
全て「読む」ことになるような気がします!
雑誌は誰でも読めるのだから、それを単行本にあてはめると、なんでも読めるそうですよ!
「本」が苦手な方はまずは「雑誌」を眺めて、読んで、頭のエクセサイズをしてみませんか?
『目次をしっかり読む』
セイゴオさんは「無知」から「未知」が読書の醍醐味と考えています。
「無知」から「既知」ではなく、「未知」とは、おもしろいですね!
「無知」があり、読書を通じて「未知の領域に足を踏み入れる」という意味でしょうか?
ワクワクしますね!
読書の醍醐味を感じるのに最初に行うのが、「目次を読む」ことです。
購入するかしないかに関わらず、どんな本でも1〜3分ほどかけて、じっくり読む。
これがとても重要で、最後まで読む本でもこの最初の「目次読書法」で
本お全体像を頭に入れるか容れないかで後々お大きな違いが出るそうです。
目次を最初に読む著名な「読書家」は多くいます。 私も実践しています。
書店で本を手に取ると必ず目次は目を通しますが、
それで本の骨格はなんとなく掴めるものですね。
ただ、セイゴオさんの目次は私にとって特殊です。
特に「節のタイトル」でイメージした内容と本文とはダイレクトにつながらない時があります。
多少の歪みを感じながら読むのですが、その歪みのおかげで、
「意外なところ」が面白く感じることがありますね!
本の読み方は自由だという思いは根底にあります。
本編より先に「あとがき」から読むのもぜんぜんOKとの事。
この時も先に目次に目を通してから読んだ方が効果的のようです。
「目次読書法」は重要ですね!
『本と混ざってみる』
一般的に読書で進められるのは「1.良い本を読む」「2.じっくり読了する」「3.自分のペースで読む」であり、量より質を求めるのが良いとされています。
しかし、セイゴオさん曰く「こんな話は何の役にもたたない。読書が苦手な人は『良書』や『自分のペース』がわからず、『理解できない』のだから」
その通りですね。よってセイゴオさんのおすすめの読み方は真逆。
「理解できなくても、どんどん読み進める」「ペースは読みながらチェンジする」「自分に合うかわからない、どんどん読んでいく」です。
本は読みなながら、いろいろな事を思い浮かべて、考える。イライラすることもあれば納得する事もある。つまり読書は「文章と自分が混じり合う」ことだそうです。
セイゴオさん曰く、「読書」は「自己編集」であり「相互編集」と考えています。
そうですね。だから読書は自分を見直したり、成長させたりするのですね!
『本にどんどん書き込む』
私は本をノート代わりに書き込んでいた時期もあったので、このタイトルは共感が持てました。
先程の節で読書は「相互編集」と言われた通り、「本は我々の一部であり、我々は本の一部」なのです。読んだ瞬間、感じた場所に印をつけ、感じた事を本に書き込む。
この「相互編集」や「自己編集」が、自分を成長させるのだと思います。
本に書き込んだ内容を数年後にふと読み替えると
「そういえば、この時はこんな事を考えていたなぁ」と自己思考を思い出します。
日記の読み返しとは異なる「内面の成長」を覗き見できますよ!
セイゴオさんが読書方法としておすすめしているのは
・自分の気になる事がテキストのどこに記載されているか「予想しながら読む事」
・読み手が新たな時空に入ったことを「リアルタイムで感じる事」
だそうです。 何となくわかるような気がしますね!
マーキングや書込みに使用するツールはある程度使うと、手放せなくなりますね。
セイゴオさんは養老孟司さんから「電車の中や旅行先で2Bの鉛筆が手元にないと、本に集中できなくなる」と直接聞いたそうです。
セイゴオさん曰く、印は何でもいいそうですよ!
私の経験からいうと、文章に沿った長い縦線だけは、やめた方がいいですね。
電車の中で線をひきながら読んんでいる時期は、線が曲がって文字にかかり、
イライラして読書に集中できない時が多々ありました!
その後は気になる文節の前後に〈 〉を書いていましたね。
これは曲がりませんので、読書に集中できますよ!
第4章 読書することは編集すること
『編集工学をやさしく説明する』
セイゴオさんが編集工学を解説するにあたり、前提となるのは「書くのも読むのもコミュニケーションの一つ」という事です。「執筆も読書も相互コミュニケーション」
この前提条件のもとで、編集工学とは「コミュニケーションにおける情報編集のすべてを扱う研究開発分野」の事だそうです。
わりますか?
つまり研究対象は「脳もメディアもコンピュータも、言葉も身振りもヴィジアリティも音楽も、遊びや広告も」入るそうです。つまり人間が「情報」と捉えるものすべてが、情報処理ではなく「どのように『情報編集』されているかを研究する」ことが「編集工学」だそうです。
情報はコミュニケーション・プロセルによって変化しますが、「意味の変容」や「意味の交換」どのように行われているか、それを適切に把握する編集技術や編集感覚があるかを展望するのが、「編集工学」との事。
「編集工学」で大事にしているのは、「記憶の問題」と「表現の問題」だそうです。
この内容に興味がある方は、ぜひ本書を手に取っていただければと思います。
ちょっと難しい話になりましたが、セイゴオさんの「読書」は「編集工学」の一部。
だから活字だけでなく、雑誌の広告や写真や挿絵も、マンガもすべて「読みもの」なのですね。
「生涯一編集者」と自ら名乗るだけあり、本だけでなく全ての事象を研究する。
セイゴオさんは本当に魅力的な方ですね!
第5章 自分に合った読書スタイル
『お風呂で読む・寝転んで読む』
読書は次の3つに分かれると、セイゴオさんは言っています。
- 読前述:本の接し方や目次読書
- 読中術:マーキング読書やマッピング読書 → 注)下記※参照
- 読後術:本棚の並び順、感想ノートや感想ブログ →この記事も「読後術」ですね!
※マッピング読書とは書籍年表で、その集大成が『情報の歴史』として、1990年にNTT出版より販売。1966年に増補版出版。2021年に再増補版の『情報の歴史21』が出版されました。
「本の読み方」を知りたい読者の方が関心いだくのは「読中術」ですよね。
セイゴウさんは、まず「速読」について述べています。
速読をすることは悪いと言っていないのですが、「速読にとらわれる事はダメ」だと言っています。
どんなテキストも一定の速さで早く読むのは、早食い競争ばかりしているようなもので、消化不良を起こしてしまいますね!(笑)
早く読むコツは新たなジャンルを読むとき、まず1冊読む。わからないところはじっくり読む。
そして、それに関連したする本を読んでいく。すると、それらの共通項や相互の違いが読み取れて来て、自然に早く読めてくる。これが本来の速読だと定義しています。
「似たもの」だと思えば、どんな本で速く読める。なぜならそこには「略図的原型」が働くからです。
だから「速読そのもの」を目的にしても意味がないそうです。
多読術にとって大事なのは、本によって、もしくは読み方によって、さまざまな感情やテイストやコンディションになれるかどうか、多様性を楽しめるかどうか、という事です。
セイゴオさんはこの「多様性」について次のように述べています。
その多様性をぼくは、「ワインを飲むように読む」「アスリートのように読む」「温泉であたたまるように読む」「竹をわるように読む」「教えをこうように読む」「強い格闘家と戦うように読む」「時間つぶしのために読む」「書くために読む」という形容で、これまで説明してきました。
第5章 自分nあった読書スタイル より
読書は「平均的な読み方をするわけではなく、いろいろな読み方をすべきであると、強く思う事」が重要で、そのためには、「自分の読中感覚を多様にイメージする事」が大切になるそうです。
ラーメン屋に行けば箸が置いてあり、フランス料理を食べに行けば、ナイフとフォークが用意されています。店員やボーイさんがそのスタイルやテイストを用意してくれますが、読書は自分で読書テイストを作らなければなりません。
テイストを作り出す工夫としては「通勤、通学の電車で揺れなが読む」「喫茶店でコーヒーや紅茶を飲みなながら読む」「お風呂で読む」「ソファで寝転んで読む」など、皆さんがいつもおこなっている方法で良いそうです。
そのテイストを「強く意識する」でだけで、多様性を楽しめます。
セイゴオさんは明治の小説を読むときは、絶対に渋茶と塩煎餅を用意して読むそうです。
また、科学書を読むときは、大きな机に関連図書を多数置いて、最初はヨコ組(横書き)の本を選び、必ず2Bのシャープぺんでアンダーラインや欄外の書き込みをするそうです。
タテ組(縦書き)の本は青のボールペンを使うようです。最近は老眼が進み、サインペンも使っているみたいです。(笑)
なぜ、シャープペンとボールペンを使い分けているか、理由はわかりせんが、いずれにせよ、このボールペンやシャープペンがラーメン屋の箸やフランス料理のナイフとフォークになっています。
セイゴオさんはテイストを強く意識するために、けっこう服装も変えるそうです。
ラフなセーターでニーチェを読むのと、ワイシャツでニーチェを読むのでは違うらしい!
これにはスタッフも驚いたようですよ!
第6章 キーブックを選ぶ
『読書は危険がつきもの』
「読書に有効を求めるか?」という質問について、セイゴオさんは「読書はわからないから読む。それに尽きる」と言っています。
「無知から未知へ」の旅と同じで、効用もそこにあると考えているようです。
その読書をもたらす著者もやはり「わからないからその作品を書いている」のでそこにも「無知から未知へ」の旅をしているらしいです。
なので、わかったつもりで読まない方が「ゼッタイにいい」そうですよ!
読書は「伏せられたものが開いていくもの」で、「伏せられたもの」が書籍、「開けていくもの」が読者。読書は「パンドラの箱を開けていく」作業で「読書は毒である」と認めた方が、かえって面白いとセイゴオさんは思っています。
本はウイルスでもあり、劇薬でもある。一方で漢方薬でも抗生物質でもある。
だからと言って、全ての本を対症療法のように読もうとするのは、いささかおかしく、そんな事はムリ。
本を読めば、その本が自分を応援してくれると思わない方がいい。背徳もする、裏切りもする、負担も負わせる。「だから読書はおもしろい」そうです!
『読書しつづける』
セイゴオさんは生活面でも思考面でも経済面でも、人生の多くを読書と共に歩んできました。
人生コストのうち、本代が占めるパーセンテージは、圧倒的に高いそうです。
これだけ本を読み続けるためには、「読書感覚をずうっと維持する」必要があり、また「読書三昧の日々にはしないで、仕事を続ける。仕事は1人ではなく必ず仲間とともに進める」や「どんなに仕事で時間が取られても読書は外さない」と決めていたそうです。
調子のいい時があれば、悪いときもある。いかなるときでも、調子や好みや仕事に合わせた「読書をするしくみ」をつくり、読み進めたそうです。
さまざまな本を混ぜこぜにしながら、遊びや息抜きも読書でまかなう。
具体的な例として、量子論や国学を読むときは、けっこう集中力が必要で中身も難しい。だからそれを続けるのは、やっぱりしんどいので、読書力が落ちてくる。
そんな時、読書力回復は句集(俳句や連句を収録したもの)や歌集を読むことでチャージする。
ハードボイルドやミステリーを読んで回復していた事もあるそうです。
そしてまた、量子論や国学を読む。
また、調子が出なくなると今度は古典や民俗学、ときにはマンガを読む。
色々試してみると日本の古典を読むとバッテリーが回復するのが多いとわかったそうです。
日本の古典でも回復しないときは自著、つまり自分で書いた本を読むようです。
調子が悪くても、読書以外の気分転換をするのではなく、別の読書モードで調子を回復させる。
これがセイゴオさんの、調子や好みや仕事に合わせた『読書をするしくみ』だそうです!
目標というか、生活方針を決定し、それを進める推進力を自分に課して、試行錯誤しながら、最適解を見つけてゆく! スゴイですね!
インタビュアーが「これこそ多読ですね」という意見に対して、セイゴオさんは、この『読書するしくみ』には、哲学、いや確信のようなものが3つあると言っています。
- 読書は、現状の混乱している思考や表現の流れを整えてくれる
「癒し」ではなく「整流」。 どんな本でもいいわけではないが、ある程度の「キーブック」や「好みの本」なら必ず「整流」が作れるそうです。 - そもそも思考や表現の本質の大半は「アナロジー」であり、「連想」である
科学も小説も、人文も芸術も、思考や表現の本質の大半はアナロジーであり、類推であり、連想であると確信しているそうです。 - 元気が出てくる源泉や領域は必ず「曖昧な部分」「きわどい領域」「余分なところ」である
ふだんは「規定された領域」「明瞭な領域」と付き合うが、調子が落ちたり、迷っていたりする時は、「曖昧な部分」「きわどい領域」「余分なところ」に着目すると元気が出るそうです。
セイゴオさんの「多読術の根幹」はここにあるようですよ!
第7章 読書の未来
『鳥の目と足の目』
『情報検索の短所と長所』
『デジタルvs読書』
セイゴオさん曰く、読者が用意する基本的なツールは、「マーキング用の筆記用具」と「投影する事がでくるノートやパソコン」があれば十分との事。
これは「本はノートである」という考え方に基づいているそうです。
もっとツッコミたい人は辞書や辞典を使う。
その時、「使う辞書」「読む辞書」「調べる辞書」を分けられるとなお良い! と言っています。
辞書の中で落とせないのはかっこシソーラス辞書(類似辞書)だそうです。
できるだけ容量の大きい類似辞書が編集読書を促進できると考えています。
また、「年表と地図」も重要とのこと。
日本史、世界史、領域史、美術史、医学史、技術史など、許される限り多い方がいい。
これら「年表と地図」もマーキングしたり、書き込んだりすれば、自分独自のものになります。
出来事や社会や世界を見るための視点は「二つ」あり、
・ 一つが、俯瞰的にその世界を眺める「鳥の目」
・ もう一つが、その世界の中に入ってみる「足の目」
たいていの物語はこの「2つの目の描写」で成り立っているそうです。
そのほかのサポートツールとしてセイゴオさんは
「理科年表」や「各種の図鑑」「人名図鑑」「用語集」が重要と考えています。
サポートツールをいろいろと紹介してきましたが、
現代のキーワード検索はどんなメディアより圧倒的優位を誇ります。
多くの知識を高速に引っ張り出して、場所も本棚もいらない。
ノートPC一台あれば、どんな長いブログも書ける時代。
こんな時代だからこそ、そこには二つの問題が隠されていると述べています。
1.本来、情報は「場所」とヒモづけされて「知」を支えてきたのに、
今の情報は「場所」から切り離され、「知」を支えてきた「場所」が見えなくなっている。
2.ピンポイントに検索する事は、私達の「連想力」を著しく落としている。
セイゴオさんはこのように考えています。
『読書は傷つきやすいもの』
最後にセイゴオさんは下記のように述べています。
・ 一番言いたかったのは、「読書は編集である」
・ 一番言い足りなかったのは、「読書はナイーブな行為である」「読書はフラジャイルである」
「読書は他者との交際」本を読むということは、他者が書いたり作ったりしたものと、接するということだからだそうです。
しかし、その交際はとても微妙でドキドキしたものでないと読者はつまらない。
セイゴオさんの読書は、その根底に何かギリギリのところで他者に奪われてもいい、と思っている感情があるようです。
この感情はとてもナイーブで、自分のコンディションが関わるし、また馴れ馴れしく読みたいとも思わず、ついつい恋心がゆらゆら動くような読み方になるそうです。
その読み方をさまざまに求めるため「多読」になるそうです。
感情は頑丈なものではない。変化しやすい。
屹立しそうになったり、倒れそうになったり‥‥ その境目に共感が向かう。
だから「正の領域」も「負の領域」もある。
セイゴオさんはこの両方が境目に起こるであろう事を求めて、本を読んできた。
それを「ナイーブ・リーディング」「フラジャイル・リーディング」と名づけてもいい。
それは、自分の中に欠如や不足や穴ぼこができるかという、ちょっとスレスレの読み方である
と述べています。
この感情は最初から持っていたそうで、何十冊、何百冊の本の中でもこの感情を喪つづづけた。
それがなくならない限り、セイゴオさんにとっての書物は
「いままさに羽化をしようとしている蝉であって、いままさに雨が降りそうな空模様」
なのだそうです。
目次
本書の目次を記載しておきますね。
気になる章や気になる節から読んでもいいと思いますよ!
どれが気になりますか?
第1章 多読・少読・広読・狭読
・セイゴオの本棚
・本は二度読む
・たまには違ったものを食べてみる
・生い立ちを振り返える
第2章 多様性を育てていく
・母からのプレゼント
・親友に薦められた『カラマーゾフの兄弟』
・文系も理系もこだわらない
第3章 読書の方法をさぐる
・雑誌が読めれば本は読める
・三割五分の打率で上々
・活字中毒てみる
・目次をしっかり読む
・本と混ってみる
・本にどんどん書き込む
・著者のモデルを見極める
第4章 読書することは編集すること
・著者と読者の距離
・編集工学をやさしく説明する
・ワイワイ・ガヤガヤの情報編集
・言葉と文字とカラダの連動
・マッピングで本を整理する
・本棚から見える本の連関
第5章 自分に合った読書スタイル
・お風呂で読む・寝転んで読む
・自分の「好み」を大切にする
第6章 キーブックを選ぶ
・読書に危険はつきもの
・人に本を薦めてもらう
・本を買うこと
・キーブックとは何か
・読書しつづけるコツ
・本に攫われたい
第7章 読書の未来
・鳥の目と足の目
・情報検索の長所と短所
・デジタルvs読書
・読書を仲間と分ち合う
・読書は傷つきやすいもの
あとがき「珈琲を手にとる前に」
おわりに
- 読書は「無知から未知への旅」
- 読書は「自己の編集工学作業」
- 読書は「ナイーブでフラジャイル」
さすがに『知の巨人』の書籍です。
自己の編集工学作業をしながら読んでみると、その深みにはまり、抜け出せなくなりました。
対話形式なので読みやすいのですが、その反面、対話の端に「気持ち」や「思索」が潜んでいるのでは? と、考えてしまう場面も多々再発見しました。
この記事を書きながら「編集工学作業」をしたので、再発見できたと思います。
もっと端的にまとめたかったのですが、なかなか難しいですね。
この記事も何度か「編集工学作業」を行えば、もう少し簡潔に書けるかも知れませんね!
本書にはここでは紹介できないエピソードがいろいろあります。
ご興味がある方は「知の巨人」と一緒に「ナイーブでフラジャイル」な空間を歩きませんか?!
「無知から未知への旅」に出発ですよ!
本を買うなら‥‥Kindle
多読する上で、正直、本代はそれなりにかかりますよね。
成毛眞さんや松岡正剛さんのように日常生活費を削ってでも書籍を購入して、購入した書籍は手放さないほどのスペースを確保できる一般的のサラリーマンは少ないと思います。
私も本を買うときはブックオフを利用して少しでも安く購入していました。
低価格で購入するのに、ブックオフは大変重宝していましたし、大型店舗も近所にあり、
とても助かりました。
いい気になってどんどん購入すると、置き場所に困ります。
結局、一定量以上になると処分せざるを得ません。
そして、ある時「あの本、どこに行ったかな?」と探し始めると見つからない。
「処分してしまったか‥」とガックリすることも時々ありました。
しかし、私の相棒、iPad mini6を手に入れてからは書籍購入はもっぱらKindleです。
メリットは多数あります。
【メリット】
- 即時購入可能。早朝、深夜、丑三つ時でも思いついたら即買いできる!
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【デメリット】
- 今のところ、要らなくなっても、売れないことぐらいでしょうか?
Kindleを利用したことがない人は、一度利用してみてはいかがでしょうか?
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